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ものづくりの現場をたずねて#2

庭のあるアトリエ

画家 nakabanさん

nakabanさんの、夏のアトリエを訪ねました。

 

約3年前、広島郊外の海にほど近い場所にアトリエを移した画家のnakabanさん。

築50年ほどの家と、家と同じくらい広い庭が、nakabanさんの今の仕事場です。

 

いくつかの部屋がそれぞれ仕事場になっていて、それぞれ、イーゼルや画材、描きかけの作品、たくさんの本やCDなどが置いてあります。天井は板が抜かれ、野地板と梁、そして壁は白く漆喰が塗られています。どの空間にも不思議な心地よさがあり、作品と同様、nakabanさんの手によって作られた空気感に包まれる感覚です。

 

大きな庭にはいろんな果樹や植物が植えられています。

もともと植えられていたものもあれば、nakabanさんが植えたものもあり。スイカやきゅうりが生っていたりお手製の鳥の巣箱や半自動散水システムが設置されていたり。

庭もアトリエ同様、こんなにも持ち主のキャラクターがあらわれるのだなあと感心してしまいます。

 

nakabanさんが絵に向き合うなかで、庭で過ごす時間も欠かせない営みなんだなというのがなんとなく伝わってきます。

日々、庭仕事や大工仕事をしながら制作活動を行うnakabanさんに話を聞きました。

 

 

―まずは、このアトリエを持った経緯について教えてください。

 

僕の生家には小さな庭があるんです。子どもの頃に見ていた原風景として、両親が庭でずっと何かやってるですよ。植えたり切ったり。そんな両親の様子を「充実した人生を送ってるなあ」と子どもながらに見ていたんですよね。

 

僕も、岩竹さんと一緒で、あるとき(都市生活者だったとき)植物に興味を持って植物の生態に魅せられたんですよね。描く絵も風景が多くなってきてだんだん風景のなかにある建物というヴィジョンが整ってきたんです。

 

僕の理想は、一般的な日本にお住まいの方の感覚よりは庭広めなんですよ。家はむしろ小屋でいい。庭を日がなうろうろして季節の移り変わりとか自然の中の物事の仕組みとかを学び直せることができるんじゃないかなと思ったんです。

 

 

―ご自身の原風景と繋がっていたんですね。

 

こんなに植物に触れるとは自分でも思わなかったですけどね。たしかに毎日が楽しいですよね。街にアトリエがあった頃から植物は育ててて、かなりギチギチで大変だったけれど、植物を育てるのをやめるってことはなかったですね。

 

―長く仕事を続ける中で、もっとはやく(庭の広い)場所を持ちたいという思いにはならなかったんですか?

 

僕は2000年代から仕事を始めて、業界の中ではいわゆる「暮らし系」が芽吹いた時期で。庭=田舎暮らしというメディアに触れることも多く「いいなあ」とか思うわけですよ。でも、都会の暮らしも捨てられない。それで、天秤にかけて決めかねていた時期は長かったですね。仕事をする上では都市部の方がやりやすい点もありますし、考え方が変わっていくのを待つしかなかった感じですね。

 

植物に触れてて思うのは、今まで学んできたことは方程式に過ぎないんですよね。そのものがどうなるのか、どうしてこれがこうなるのかそういう側面については何一つ教わってこなかったなあということがありますよね。

 

よく、アカデミックな教育を受けた学者さんより村のおじいちゃんおばあちゃんの方がものを見る力がある、みたいなことがあるじゃないですか。僕の場合は、絵を描くときに今までは文字による情報や写真による画像、そういうものをたくさん見てそれを糧に絵を描いてきたんですけど、それだけだと枯渇してしまうなという気持ちもあったんですよね。

 

 

―面白いですね。建築の世界では、仕事が大きくなったり依頼されるプロジェクトが大きくなっていくと作る模型も大きくなるしスペースがいるからと広い場所を探したりするけれど、nakabanさんはそれだけじゃない理由で場所を探して、でも創作に結びついてるわけですよね。

 

だいたい逆のことが起きるんですけど、ここに来てから大きい絵の依頼が増えてきたりして、空間がそういうものを呼んでくれる、いろんな機会を呼んでくれるっていうのはあるかもしれないですね。もちろんタイニーハウスで創意工夫を凝らして頑張るのもすごく好きなんですけどね。前のアトリエがまさにそうだったんですけど、どっちもありだと思います。

 

ここだと遊べるじゃないですか、やっぱり遊びが大切なんですよね。遊びを意識的にやっていかないとどんどん狭まっていくと思うんです。自分の趣味嗜好、好奇心が。だから、割と切実かもしれないですね。

つまりアイデアがポッと出てくるにはそれなりの空間が必要なんですよ。考えの中の空間が。だからその空間をどんどん豊かにしていくっていう感じですね。

 

 

−庭もアトリエもお邪魔するたびに変化があって、nakabanさんの遊び心を感じます。

 

こういうところに来ると、いわゆる田舎暮らしをエンジョイしてしまうっていうクリシェに陥りがちなんです。古民家を改造してますとかそういう発想に陥らないように自分に釘を刺しているところはあります。むしろ、自分の実験場を手に入れたというつもりで、誰もやってないことをどんどん試していきたいっていう気持ちを失わないようにしてます。

 

 

-実験してみるっていうのが、自分で手を動かして解体したり漆喰を塗ったりすることなんですね。

 

そう。漆喰を塗って指紋がなくなるのも嬉しいんですよ。「あ、こんなことになるのか」「ちょっと痛いけど得難い経験をしたなあ」っていう。

 

 

ーそういうのは体験しないと分からないですよね。

 

自分に降りかかってくる痛みもグラデーションになってて、例えばネットで調べて「ものすごく危ない」とか書いてあるとそれじゃあ漆喰やめておこうってなる。だから、(こういう環境へ)痛い目に遭いに来たとも言えるんですよ。もっと痛い目に遭わないと良くないなあっていう。よくないなっていうのはさっきの枯渇するっていうのと同義ですよね。

自分をワイルドな環境に置いたほうがいいんじゃないかなあという気持ちがあります。

 

 

 

-この場所を構えてから変化はありますか?

 

それは街に戻った時の気持ちもそうなんですけど、やっぱり、毎日あたらしいことが起こってるっていう感覚は前より強くなりましたね。

植物を育てることってすぐに答えが出ないですよね。自分が死んだ後もこの木は残るのかなあとか、土づくりも、岩を割って空気が入るようにしていたら来年やってくる昆虫の種類が増えるかなとか、時間の捉え方が変わってきますよね。

 

 

―絵を描くことへの向き合い方は変わりましたか?

 

前はいい絵を描きたいっていう気持ちでした。いい絵というのはかっこいい絵のことで、その時の自分の感性で「かっこいい、かっこ悪い」という基準があったわけですけど、今はどうなのかなあ・・・。今は、この絵が「ある」っていう感じなのかまだ着地してないのかっていう見方で見てるんですよ。まだ着地してないっていうのは要するにまだ途中の絵っていう意味ですけどある段階でこの絵が「ここにある」っていう状態になるんですね。

それでその絵はいい悪いの判断とは違うのかもしれないですけど広義で言うといい絵なんですね。なぜなら周りの環境と相互作用があって、簡単に言うと馴染んでいるって言うんですけど、嘘がないって言うか。

 

―なるほど。おもしろいですね。

 

だけどね、それもまた不思議で、合ってないなあっていう絵を飾っておくとだんだん合ってくるんですよね。見方も変わってくるし、その絵の方も変わってくるんですよ。

 

 

10年前の考えかただと、いい絵を描く材料っていうのは自分の思いであったり集めた資料や経験、あるいは画材だったけど、今は、空間や環境っていうものが一番大切な画材かもしれないなあって。だから建築家の仕事はすごいんですよ。

 

-それは責任重大ですね(笑)。

 

環境を変えていくっていうことは、田舎でも都会でも自分が行きたいところに行けばいいだけの話なんですよね。環境を変えるっていうのは多分勘なんですよ、直感。

その直感がすごく大事で、「今、私このままじゃいけない」って人がすごく多いと思うんですけどそれは普通のことであって、その感覚は大事にしたいですよね。

 

-この場所で言うと、自ら環境を作ってるじゃないですか。それは、こういう場所にしようというイメージがあるんですか?絶妙だと思うんです、残し方というか置き方というか。ポンと置いた鉢の位置もあちこちで見たロウトも、設計をしている立場から見るとそのひとつひとつが絶妙なバランスで成り立っていると思って。これはなんのルールでできているんだろうって笑。手で塗った漆喰の壁もこれが壁画みたいなものとも捉えられるし、nakabanさんしかできないと思うんですよね。

 

 

結局は好みですよね。好みっていうのはやっぱり生まれ育った環境で培われたと思ってて。僕の生まれた家はネオスパニッシュ様式だったんです。

スペインに行ったら、びっくりするくらいほんとに自分の家と同じだったんですよ。真っ白でアーチがあって瓦もテラコッタで。それから、やっぱり抜けの良さがすごく心地よくて。だから、(この場所も)全て抜けの良さを求めてやってるような気がします。

 

 

大人になってポルトガルやスペインに行ったときに、やっぱりイベリア半島あたりの家は全部漆喰で真っ白で、全体的にカラッとしてて、楽しく暮らしていけそうな感じがして。やっぱりこれは最高だなというのは体感としてありますね。

自分のなかに原風景というものがあって、旅をした時に「おんなじだ」という驚きとともにやっぱりこれが好きだなあというのが刻み込まれたんじゃないかな。日本の土の色の壁もすごく好きなんですけど、でも結局白く塗っちゃって。そこまで大人になれてないというか(笑)。

(インタビューおわり)

 

 

 

夏のあいだに訪ねたnakabanさんのアトリエは、あちこちの窓が開け放たれ、気持ちよく風が通り抜けていた。虫や鳥たちの気配を身近に感じる、エアコンいらずのサマーハウスだった。

 

植物を育てたり土を作ったりしていて感じるのは、本当に大切なことはすぐに目に見えて現れないということ。それは、家やオフィス、お店を作る場合でも同じかもしれない。

今だけを考えるのではなく、未来にどうなっていたいか。先のことを考えながら作っていくことの大切さを、僕も植物を通して学んでいる。

お昼にはパンを焼いてくれて、畑で採れた野菜とノンアルビールをご馳走に。

庭の植物も虫も、絵の具や漆喰やパンさえも。

nakabanさんが関わり、あるいはつくりだすものには、見えないけれど確実にそこにある「何か」を感じさせてくれる。ものと人、生き物と人、建物と人。お互いが発するサインを受け取り合い生まれる「何か」。

 

nakabanさんは、絵を描くことだけじゃなく壁に漆喰を塗ったりパンを作ったり植物を育てたり養蜂をしたり、、、なんでも自ら手を動かして作れてしまう。

でも実は、本当はどんな人にも自分で環境を作り出せる力を持っているような気もする。

自分が心地よい環境はどんなところなのか、きっとみんな潜在的に持っているはずだ。

 

もちろん、仕事やいろんな事情により全ての人が自ら手を動かせないことも分かる。

だからこそ、家づくりを依頼してくださる人やプロジェクトをご一緒する人が、何を感じどうありたいと思っているか。この相手と何ができるだろうかと頭を捻りたいしそれこそが自分の仕事の楽しさだとも思う。

 

空間づくりも、長い時間を経て順応し変化する植物たちのように、逞しく自由でありたいと、nakabanさんと話してあらためて思いました。

 

 

Profile:

nakaban(なかばん 画家)

1974年広島県⽣まれ。同県在住。絵画を中⼼に、印刷物の挿絵、絵本、映像作品を発表する傍ら、独自の幻燈風のドローイングによる⾳楽家とのコラボレーション・ライブを各地で行う。ʼ13年には新潮社「とんぼの本」のロゴマークを制作。主な作品に絵本『よるのむこう』(⽩泉社)『ダーラナのひ』(偕成社)など。最新作は、『ぼくのうみ』(⼩学館)。ʼ25年に初の画集『In Modest Blue』(ELVIS PRESS)を発表した。ure.のロゴマークの作者。 nakaban>>> website